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物価高、賃上げ…進まぬ「価格転嫁」
よろず支援拠点チーフが明かす交渉の〝カギ〟とは

厳しい物価高騰に続き、今月からは最低賃金が全国平均で過去最大の66円引き上げとなる。事業経営のコストがますます重くなるなか、価格交渉などを通じた自社商品への価格転嫁(上乗せ)が多くの中小企業が抱える課題となっている。その一方で「どう交渉すればいいか分からない」と一歩を踏み出せずにいる経営者も少なくないという。そんな悩みに無料で対応するのが「よろず支援拠点」だ。中小企業庁が平成26年から全国の都道府県に設置している中小の事業者向けの相談所で、経験豊富なチーフコーディネーターに、価格交渉を成功へ導く上での〝カギ〟となるポイントを尋ねた。
「生きた心地しない」厳しい経営、賃上げ余裕なく

「生きた心地はしないですね。経営者的には」。そう話すのは、盛岡市内を中心にラーメン店チェーン「柳家」を営む大信田和彦さん(51)だ。柳家では、新型コロナウイルス禍での売り上げ減少や原材料費の高騰への対応に苦慮し、1年ほど前に「お客さんが来なくなるのも覚悟の上」でラーメン1杯を880円から1千円へ値上げした。
結果として客足こそ減らなかったものの、値上げによる売り上げの増加は原材料費の高騰で相殺され、利益にはつながっていない。新型コロナウイルス禍に受けた融資の返済にも迫られるなか、従業員の賃金を上げられるような余裕はほとんどないという。大信田さんは「(厳しい状況なのは)どこも同じなので悲観的にはなっていない」と話す一方、「(賃上げをするためには)さらに価格を上げなければいけない。ラーメンは気軽に食べられる商品でありたいが…」とこぼす。
「言っても無駄」交渉あきらめ、二極化招く
柳家のように、ここ数年、急激な円安や物価高騰などで苦境に立たされる中小企業は少なくない。価格転嫁の促進に向け「下請法」が改正され、新たに一方的な価格決定の禁止などを盛り込んだ「中小受託取引適正化法」として令和8年1月1日から施行されるほか、中小企業庁による「価格交渉講習会」の実施などの動きも進むが、同庁が今年3月に中小企業を対象に実施したアンケートからは、いまだ価格交渉自体をあきらめてしまう経営者が少なくない現状も浮き彫りとなっている。
アンケートでは、価格交渉を行った企業の割合と価格転嫁率がともに半年前に比べて約3%増加するなど若干の改善がみられた一方、「他社が安い場合は取引先を切り替えるなどと言われる」「仕事をもらっている立場上、意見が言えない」などといった声も多い。同庁はアンケート結果から「状況は改善しているが、(価格転嫁に成功している企業と)転嫁できない企業と二極分離の状態」と結論付けている。
チーフの視点「自社の価値を見極めよ」

何が明暗を分けているのか。
東京都よろず支援拠点の弥冨尚志チーフコーディネーターは「(価格転嫁ができていない経営者は)価格交渉を単なる値上げ要求と捉え、自社都合の話しかできていない」場合が多いと指摘する。
弥冨氏によると、取引先に値上げを受け入れてもらうには、自社の商品に値上げに匹敵するだけの「価値」がなければならない。「もし取引が続いている理由が『安いから』だけだった場合、値上げを要求した瞬間に『じゃあ別の会社を探します』で終わりです」。弥冨氏は、多くの経営者が取引先を切り替えられる「転注」を恐れたり、「言っても無駄」とあきらめたりしているのは「自社の価値を見極められておらず、自分に自信がないことの裏返し」と指摘。だからこそ、交渉の前にまずは自社の「価値」を洗い出すことが不可欠と強調する。
取引における「価値」として、製造業であれば技術力や納期の速さ、品質などへの社会的信用といったものが第一に挙げられる。また、最初から値上げありきの姿勢ではなく、設備投資などによる「継続的なコストダウン」に取り組めているかといった、会社自体の姿勢・体制も取引先へのアピールポイントとなる。美容室やネイルサロンなどのサービス業やイラストレーターなどのB2C事業であれば、技術力に加え、独自の「世界観」や「空間」が顧客に与える印象も価格以上の強みとなる場合があるという。
「なんで俺が…」賃金アップ、価格転嫁に高いハードル
価格交渉に際して改めて自社の「価値」を考える必要性が高まっている背景に、価格転嫁の主要な対象が「原材料費」などから「人件費」へと変わっていることがあると弥冨氏は指摘する。 弥冨氏によると、原材料費の高騰を巡る価格転嫁は、以前に比べ製造業を中心にかなり進展したという。同氏はその理由をこう例える。
「商店街のまんじゅう屋さんで、まんじゅうが1個100円から150円になったとする。お店の人から『あずきや小麦が値上がりしちゃって』と言われれば、『じゃあしょうがねえか』となりやすい」
ここ数年で急激に原材料費・水光熱費が高騰していることは社会全体での共通認識となっている。そのため「材料費が上がった分だけ転嫁するというのは納得感があり受け入れられやすかった」(弥冨氏)
一方、価格転嫁で商品の価格が押し上げられれば、次には当然、物価高に対応する賃上げが求められる。いま多くの中小企業が抱えている問題は、この人件費を巡る価格転嫁が進んでいないことだという。
「今度はまんじゅうを150円から200円にさせてくださいと。そこで理由として『うちの職人が給料上げないと辞めちゃうから』と言われると、『なんで俺が、見たこともない職人の給料のために50円コストアップを受けなきゃいけないの』となってしまう」(弥冨氏)
ヒントは「取引のスタート時」にある
原材料費の価格転嫁が「納得感」を得やすいのは、ラーメンやまんじゅうなどの食品であれ、部品などの工業製品であれ、加工品という形で買い手も直接原材料から〝ベネフィット(便益)〟を受けるという事情もある。それに対し、人件費はあくまで自社の操業のための「投資」であり、買い手側の便益には直接関わらない。
最終的に自分のものにならないものに対しては、財布のひもが固くなりがちで、だからこそ、価格交渉では賃上げという自社の投資が、結果的に買い手の利益にどうつながるのかを、しっかりと説明できる必要があるという。
そうは言っても、改めて自分の会社や事業独自の価値と言われると思い浮かばない ―。そんな経営者も少なくないだろう。だが、弥冨氏は「取引先のA社、B社、C社…それぞれに対して取引が始まった経緯、すなわち理由が必ずあるはずだ」と力を込める。いままで相手が取引をしてくれている理由、それこそがその企業が持つ「価値」であり、価格交渉の前提だ。よろず支援拠点の役割は、まさにこの経営者本人も気づいていない「価値」を一緒に見つけ出すことにあるという。
生き残りへ「すべては経営者のやる気次第」

弥冨氏が最近携わった事案に、自動車などに使われるゴム製品を扱う都内の町工場の再建がある。弥冨氏は最初のミーティングでその会社の「価値」に気づいたという。同社は製品の品質自体にはばらつきも多く、納期にも遅れがちだったが、「『受注生産で何でも作ってくれる』という〝取引の柔軟性〟が発注元にとってありがたい存在だった」(弥冨氏)。
その強みを認識した上で価格交渉に取り組むよう提案したところ、発注元が遠方ということもあって取引上のやり取りをファクスやメールで済ませていたところを、対面でのコミュニケーションを増やすなど、基本的な取引先との信頼関係構築に努めただけで円滑に話が進んでいったという。
同社で負債が拡大していた要因の一つは、前任の社長が自社の「価値」を十分に認識しないまま職人的な経験と勘で売値を決め続け、実態に即さない価格になってしまっていたこと。弥冨氏は「面倒でも自社のコスト分析など採算の可視化を行い、適正価格の維持に努める必要がある。生き残れるも、生き残れないもすべては経営者のやる気次第だ」と強調している。
よろず支援拠点は電話やネットで予約ができ、相談形式は対面とオンラインから選ぶことが可能だ。それぞれの事業が抱える問題に適したコーディネーターが丁寧にヒアリングを実施、無料で何度でも相談に応じ、課題解決まで伴走してくれる。弥冨氏は「『会社をなんとかしたい』という気持ちがあれば大抵なんとかなる。まずは最寄りのよろず支援拠点へ」と呼びかけた。
出典:本記事は2025年10月31日に産経ニュースに掲載された内容です。

